COLUMN
【特別章】 私たちの技術顧問について
その他
2025年11月20日
- 目次
こんにちは/こんばんは!
タイトルの通り、今回は特別章です。
なんと、私たちの先生(技術顧問)にコラムを書いていただきました!
大学や企業、海外赴任を経て知識経験を豊富に持ち、困ったときの救世主です。
ちょっとしたお願いから予想外の大作をいただけましたので、私のコラムはお休み
数話ずつお話していければと思います。
通読した私の感想ですが…
肩の力を抜ける文面の中に実は鋭いメッセージが隠されており、すべてを読後には背筋が伸びる思いになります。
繊維よもやま話
技術顧問 伊藤高廣
このコーナーへの投稿
服部株式会社と交わしたコンサルタント契約書を見返すと、契約締結(開始)日は2017年6月24日であり、もう8年超でお世話になっている。
当時は新たに開発室が設立され、次の収益源を創り出す開発型企業として一歩を踏み出した時期であった。
それに引き続き社内でのご尽力によって、サポイン補助金事業の推進が決まった時である。
今般、三好工場の技術開発室から依頼を受けて「僭越」ながら筆をとらせていただくこととした。
読み返してみると、ちょっと、いや、イントロダクショが長すぎる。
自己分析すれば、自分愛に満ちている。
これに続く本題の文面をご理解いただくために必須であろうとの自己判断で書き綴った。
まずはお付き合いいただきたい。
自己紹介 – 私はだぁ~れ
三好工場と本社の一部の方を除いて、ましてや、お取引先の皆さまにとっては、「お前は誰?」である。
改めまして「伊藤高廣(いとう たかひろ)」です。
生い立ちは、1953年に生を受けて以来、幼稚園(人生唯一の総代)から学部卒業まで22年間に渡って名古屋がホームポジション、と言うことは、「生粋の名古屋生まれの名古屋育ち」である。
ところが、大学院で初の箱根を越えて1976年に江戸(東京)へと移住した。
元々は研究者として一生を捧げようと言う人生計画を立てていたが、自分が思い描いた研究室ではなかった(能力不足による)。
大学院修士課程修了後に当初の人生設計を止め、大きく舵を切る決断、名古屋企業へ就職(裏事情は実家の存続の引受け)することにした。
自分で決めたことであり後悔は全くない。
自身の基本的な思考は、革新ぶっているものの保守的である、できれば外出したくない。
安堵するのは特に、冬場ならこたつ(炬燵、現在の自宅にはこれがなぁ~い)に潜って、好きな映像や音楽を視聴しながら一日を過ごす。
まるで猫(にゃんこ)ちゃんである。
その反面、外に出なければならない時は、戦闘モードの黄色スズメバチ(Yellow Jacket)に豹変する。
上述のように仮面をかぶって内向性(負のイメージ)を隠そうとしている自分に変身(Transforming)する。
今考えれば、俳優業(マスクが伴わず3≧の脇役であろう)の方が適任だったか、と70歳を過ぎた今でも思う。
企業人としての生活
入社後は思惑に反して流転の人生、転勤族・根無し草状態?となった。
すなわち、浜松(本社研究開発部門配属、含む半年間の事業所実習)→京都・大阪・京都(部署ごと京都に移住、何と京都在勤で12年(含5年間の大学研究員出向)、研究室での愛称「たかちゃん」)→名古屋(海外勤務への布石、1年間の生産現場実習)→海外(5年間の米国出向、愛称「Doc」)→名古屋(開発復帰)→浜松(生産と技術の責任者兼務)→名古屋(研究開発責任者、海外技術指導を兼務)を経験した。
当時は自身の状況を完全に「是」として受け入れているわけではない。
多くの難題とその対応策で苦難と失敗の連続を繰返し、山積みの負の遺産…。
これらを整理(文書化、系統化)することで、負の遺産に生命が芽生えた、役立った。
やはり失敗は成功への大きな要因となる。
まだ自己紹介いただいている途中ですが、今回はここまで。
次回もどうぞご期待ください。!